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7年目の再訪
東日本大震災の津波によって流された写真の、洗浄のボランティアに参加したのは、大よそ7年前。
https://kiyamaseisakusyo.co.jp/wp/blog/2012/11/?post_type=blog
その時以来の仙台だったので、以前に訪れた地域を再訪しました。
私が7年前に訪れたときは、ガレキの撤去が済んだ頃でした。
辺り一面何もないところ。
でも実はそこは密集した住宅が津波ですべて流された地区。
良く見れば、家々の土台が区画ごとに残され、各所に小さな花が供えられていたような、そんな状態の時でした。
そして今回、同じ場所を尋ねました。
カーナビには無い道を進むと、小高い場所に整備された地域に、奇麗な家が並んでいました。
2階まで浸水し、3時45分を示したままの時計が残っていた学校も、解体され近代的な立派な建物に変わっていました。
あの時の状態を知らなければ、ここが津波で流された一帯だなんて、信じることができないほど、町はきれいに整備されている。
仙台に近いこのような地域は、生活の復興は確実に進み、心の復興もずいぶん進んだのでは、と思わせる風景です。
でも、忘れ去られてしまうようで…
車で走っていた、だんだん怖くなってきました。
地元の人は「見たくない、思い出したくない」との思いが強いでしょう。
でも「何もなかった」みたいになってしまって、100年後、1,000年後の未来の子供たちに、伝えることができるのかなぁ…
部外者が思う、無責任な正論が、頭に浮かびました。
更に海に近いほうに進みました。
以前も訪れたこの辺りは、まだ7年前の道路や歩道が少し残っていました。
道路には、津波の持つ想像もできない強い力が、ガレキをかき回して作った大きな傷があちこちに。
津波の恐ろしさを、実感した場所でした。
ちょうどその道路が、掘り返されているところだったので、なんとも言えない気持ちになりました。
復興…
難しいですね。
地元の方々は、本当に苦労されていると思います。