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同じかもしれない
初めてベトナムを訪れたのは、1996年。
ホーチミンの街はシクロとバイクでいつも大渋滞。
視界に入る車は3台程度。
おばちゃんたちは、担いできた天秤を器用に分解し、道端でフォーを作る。
この美味しさを求め、ホテルの朝食は取らなかった。
ギラギラの太陽の下、真白なアオザイ姿の女子高生が、自転車に乗って集団で通学する風景は、本当に美しいモノでした。
あれから22年。
シクロが走れるエリアは観光地のみとなり、フォーの人気店はネットで紹介され、アオザイ姿はホテルのレセプションだけとなった。
それでも、変わらないのは、道端に置かれたプラスティックのイスに座って飲むベトナムコーヒー。
その独特の味わいは、22年前の一人旅を思い出させてくれました。
交差点では、もの凄い量の車とバイクが行き交い、常にクラクションが鳴り続けている。
それを眺めながら、ボーっと座っていると、自分がいる場所が現実じゃないような、映画を見ているような、そんな状態になる。
それって…
もしかしたら、轟音と共に打ち寄せる高波を、浜辺に座って、ただ見ている時の気持ちと同じかもしれない。
スゴイ轟音の中なのに、リラックスしている状態。
もしかしたら、それが私をベトナムへ惹きつけている理由なのかもしれない。