地震 四日目の報告(出勤初日、停電、支援物資1号)

朝の通勤電車は、予想通りの大混乱。
それでもなんとか会社にたどり着くと、一部連絡がある人を除き、全員が出勤している。本人、家族には問題ないことが確認できているが、残念ながら親戚と連絡がつかない人が数名いることが分かった。
無事を祈るばかりだ。

会社としては、従業員や家族の安全確保が出来ていることを前提に、通常営業を行うことが、何より社会回復に寄与する、とし、できる限り通常営業に近づける、とした。

まずは、工場を中心に、実態の把握。
破損箇所、機械・検査器具精度、等。
同時に、事務所では、様々な対応に追われている。

そのような中、多くの方に「大丈夫ですか?」のご連絡をいただきました。
本当にありがとうございます。
一言いただくだけで、とても心強いです。

午前10時は、工場の方では通常稼動に入ることが出来ました。

さて、一番大変だったのはこの後。
「計画停電」の情報精度がまったく分からず、その後は一日中、停電情報とにらめっこすることとなった。
「松戸市松飛台は1グループと5グループに名前がある」ところの確認からスタート、という事態。
で、結局行われない。
行方不明者、被災地、原発と大問題を前にしているので、計画停電など優先順位が低いのは当然。
こればかりは仕方の無いことです。

本日は17時を退社とした。
帰りも20分ほど電車を待ったが、予定通りに行動できた。

その帰り道、NCネットワーク内原社長からTEL。
彼は今、独自の救援物資ルートを開拓し、福島に物資を届けところだった。
「木山さん、支援物資を八潮に送って。そうしたら、直接仙台に運んでくれる」
時間も時間で、私は何が出来るかわからなかったが、「やれるだけやってみます」と話して、電話を切った。

帰宅後、何か購入できる物はないかとスーパーへ行くが勿論もぬけの殻。
生理用品が買えたので、それと家にある紙コップやティッシュ等をかばんに詰めた。

それでは足りないと感じ、幹部社員に支援物資を呼びかけるメールを入れたのは、夜10時を回った頃。

東電の計画停電の情報を整理しつつ、一日が終わりました。

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